HOME

事業部   中心商店街協議会 高齢者向け配食サービス設計・調査事業 / TMO構想改定事業
まちなか観光推進事業部
まちなか研究会 まちなか探検隊
輪島NPOセンター事業部
輪島工房長屋事業部
輪島朝市駐車場事業部

バックナンバー 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回

Data
■開催日時 平成16年5月15日(土)
■テーマ 観音町〜飲食店街の今昔〜
■開催場所 観音町
■開催時間 16時〜18時
■天候 曇り
■参加人数 34名
■案内人 山岸盛さん
■コーディネータ 水野雅男さん((有)水野雅男地域計画事務所所長)
■回遊ルート 重蔵神社(集合)→林さん宅→民宿深三→梅の屋→広場一帯→古今さん宅→妙相寺→末広湯→山岸さん宅(解散)

Contents
探検隊始まって以来初の夕方開催だった第10回。探検地域は観音町。16時に重蔵神社に集まったのは総勢34名でした。予想を上回る参加者に、地元の方々の観音町に対する関心の高さを感じました。

集合場所でまず、コーディネータの水野氏より本日まわるコースや、観音町についてのおおまかな説明をしてもらい、案内人の山岸盛さんとまず向かったのは林さん宅。”小松亭”という名の遊郭だった建物内部は、押入れのない6畳ほどの間取りで、床の間側面の壁が瓢箪(写真@)や月の形に抜いてあったり、襖の部分が帯でできていたりして、いたるところに趣向が凝らしてありました。

次に向かった民宿深三は、現在4代目。むかし呉服屋を経営されていたそうで、蔵に残っていた帯を枕カバーにしたり、箪笥や漆器や布などを、民宿内部そこかしこにさりげなく取り入れてありました(写真A)。『親切第一 深見呉服店』という3桁の電話番号が記された風呂敷も見せてもらいました。各部屋の名前をあらわしているものも一風変わっていて、小ぶりな竹ざるに、藍色の布を敷いてその上にアワビの貝殻で文字をかたどってありました(写真B)。参加者は、近くに住んでいながらなかなか見る機会の少ない民宿内部のそうしたしつらえに、感嘆の声をあげていました。

現在は居酒屋をされている梅の屋では、未改修部分の2階や、改修後の蔵を見学しました(写真C)。
その後、子どもの広場へ行き、案内人の山岸盛さんにこの界隈のお話をうかがいました(写真D)。ここも茶屋街の名残を今なお残しており、入隅型の八角形のかたちは三味線の胴を、(今は跡さえなくなってしまいましたが)3ヵ所の中央分離帯は三味線の棹をかたどったものだそうで、この通りを三味線通りと呼んでいたとか(図解@)。探検隊当日、参加者のみなさんに配布した当時の地図にも”免許地”の記載が残っていましたがこのあたりは昔、加賀藩指定の免許地だったそうです。
明治43年の河井町大火や、昭和15年の観音町火災などの大火事にあったこの一帯ですが、昭和15年の観音町の火災当時、30歳だった山岸さんは、その出火の原因を雁月というところからの出火で、昼の13時すぎ、防空演習をしていての出火ではなかったかと生々しくお話ししてくださり、当時の様子が目に浮かぶようでした。

広場向かいの古今さん宅では、玄関入るとすぐ右に大きな階段があり、これは遊郭の特徴だそうですが、2人並んで上がれるようにそうしたつくりになっているということでした(写真E)。また、廓の女性の待合室だったという、玄関入ってすぐの部屋のガラスはプリズムで、割れてしまったらもう同じものは手に入らないそうです。

次に行った妙相寺では、お寺の起源や仏様の話、それから息子ではなく弟子へつないでいくという日蓮宗の特徴や、輪島生まれではない住職がなぜこの地にやってきたのか、などなど、わかりやすくお話ししてくださいました。参加者一同印象深かったのは、大火で焼けたというご本尊。4/8お釈迦様のお誕生日以外のこの日に、なんとご開帳してもらえ、お顔がなくなっているところやお体のすすけたところなどをまじかに見ることができ、火事のすごさを実感しました。妙相寺の門入ってすぐ右手におられるお地蔵様は、こくうぞう虚空蔵様といいウルシの神様で、11/3のうるしの日にはお参りに来る方が多いというお話でした。お顔がとても愛らしいのが印象的でした。

妙相寺向かいの末広湯では、主人の山外さんから遊郭の女性がここ末広湯に通っていた当時の様子を、器量のいい人は1日に3回、風呂に入りに来ていたとか、1日にのべ300人ほどお客さんが通っていた、など具体的にお話してもらえ(写真F)、茶屋街としてにぎわっていた当時の様子が伝わってきました。

最後にお邪魔したのは案内人、山岸盛さんの木地の工房。現在83歳という山岸さんは、5年前に木地の仕事はやめられたそうですが、木地蔵に眠る木地の型は、ちょんなで内側を刳り、外側をなたではつった、まだ”型はつり師”さんがおられた頃のものもあり、それらはカンカンカンと、とても乾いた音がしていました(写真G)。昔は、大沢から荒型を買い、舟で運んでいたそうで、輪島川沿いや海岸沿いに木地師が多く住んでいたそうで、漆器組合の椀木地作業所も近くにあったということです。また、谷川酒造の醤油工場や、五宝屋というもと大野の醤油屋さんもこの付近にあり、大向高州堂の河井町工場や日本海電気の変電所もあったそうです。移り変わる町の様子を具体的に思い描くことができた今回のまちなか探検隊。お話しをしてくださったみなさんそれぞれの人生を反映したお話に、この町の奥行きを感じました。
↑写真@ ↑写真A

↑写真B ↑写真C

↑写真D ↑写真E ↑写真F ↑写真G